お金とは「手段」であり「目的」ではない。大人として、投資家として持つべきお金との向き合い方
「新NISA」の開始や日本株の上昇基調、物価高などによって、「貯蓄から投資へ」という思考の重要性が高まっている。しかし、投資ブームの加熱は「お金を稼ぐこと」への意識の偏重を生み出しかねないものでもあるだろう。そんななか、投資家として「お金」に対しどのような意識を持つべきなのだろうか。経済アナリストであると同時に、株式会社マネネのCEOとして金融教育事業も展開する森永康平氏に、お金との向き合い方についてレクチャーしてもらった。
構成/岩川悟 取材・文/吉田大悟 写真/石塚雅人
金融リテラシーの欠如が、お金のトラブルを生み出す
——森永さんは、経済アナリストとして活躍する傍ら、子どもの金融教育を推進するベンチャーとして株式会社マネネを経営されています。子どもたちの金融教育に乗り出した理由について教えてください。
森永康平:わたしは2018年頃まで台湾で金融関係の事業をしていたのですが、3人目の子どもが生まれたことを機に日本へと帰国しました。会社勤めだと育児参加が難しくなりそうだったので、あらためて日本で事業を起こすならなにをしようかと考えたのです。そこで金融教育をやろうと決意しました。
その理由のひとつに、社会人として働く友人たちを見ているなかで、「お金のトラブル」で困っているケースが多かったことが挙げられます。その友人たちは、詐欺で騙されたり、怪しいビジネスに巻き込まれたりするわけですが、根本的なお金の流れを考えれば、それらの話は合理性に欠けているものばかりでした。つまり、「これはなんだかおかしいぞ……」と疑うことも、気づくこともできなかったのです。
あるいは、勧められるがまま必要以上の保険に加入して、生活苦に陥るといった話もよく見聞きします。それもまた、収入と支出のバランスや、将来のリターンを考えるファイナンシャルプランの視点がしっかりあれば、未然に防げるものばかりだと思います。
でも、わたし自身が「それはおかしい」と迷わずに言えてしまうのも、そういったトラブルに困ったことがないのも、子どもの頃から金融教育の機会に恵まれていたからに他なりません。父が経済アナリストの森永卓郎ですから、親の仕事に自然と興味を持ちましたし、小学校の頃から経済書に触れる機会もあり、高校までに金融や経済の基礎を学び、大学から株式投資もはじめていますから、一般的な人よりも金融リテラシーは高かったはずです。
——学校教育で「お金のこと」を学ぶ機会が少ないのは、以前より問題視されています。
森永康平:近年、小学校では英語教育やプログラミング教育が導入されました。いずれも、その子たちの未来の可能性を広げる役割を果たすでしょう。ただ、英語やプログラミングができなくても、「他に仕事はある」のです。
それに対し、「お金」はどのような仕事をしていても必ず関係してくるものであり、人生そのものにも深く関係してくるものです。「お金がなければ生きていけない」ことは明確なのに、知識を十分に得る機会がないのは、率直にいっておかしなことですよね? そういった思いから、子ども向けの金融教育を事業とするマネネを立ち上げるに至りました。
そこで、学校教育に金融教育を導入してもらえるよう、官公庁や学校の現場の方にも話をしたのですが、そう簡単にはいかないことが見えてきました。実際問題として、義務教育におけるカリキュラムが時間的に埋まっていてすでに余裕がないですし、それを教える教員の人的リソースの問題もあったのです。そこで、外部団体としてわたし自身が教壇に立ち、依頼を受けるかたちで金融教育の授業を行っていくようになったのです。
お金に対する意識をフラットにし人生の選択肢を増やす
——森永さんが金融教育をはじめた理由のひとつは、子どもたちがお金のトラブルを回避できる素養を身につけることなのですね。その他にも理由はありますか?
森永康平:お金に対する意識を変えることです。実際に学校で金融教育を実施すると子どもたちには好評なのですが、親御さんからたびたびバッシングを受けることもありました。例えばそれは、「我が子が投資ばかりするようなギャンブラーに育ったらどうするのだ!」「お金の知識を高めて、詐欺師を育てる気か!」といったような類のものです。
まさに、これこそが金融リテラシーの欠如の成れの果てだと実感しました。マネネを立ち上げた当時に比べ、さすがに現在こそ状況は変わってきましたが、以前は多くの日本人のなかに、「お金の話をするのは意地汚い」という悪いイメージがあったのです。金融教育を受けてお金の考え方をフラットな状態にする機会がないまま、「一生懸命働くことが正しい」という労働の美徳が植えつけられていたわけです。すると、金融知識を高めることが「楽して稼ごうとする悪いもの」となっていきます。だから、わたしが行う授業の内容をちゃんと知ろうともせず、古い価値観のままバッシングしていたのでしょう。
それこそ、金融教育が家庭でしか行われない状況では、子どもの「お金の捉え方」も親の考え方次第となります。それは、子どもの教育機会として極めて不平等であると感じます。親に金融リテラシーがあれば子どももそうなりますが、その逆もまた然りです。
——そこで伺ってみたいのですが、森永さんは「お金をどのようなもの」として捉え、金融教育を行っているのでしょうか。
森永康平:ひとことで金融教育というと「投資教育」だと思われがちですが、そういった授業はほとんどしません。もっと根本的な、「お金とはそもそもなにか?」からさかのぼって、子どもたちに解説していくのです。
お金の歴史をさかのぼれば、粘土板に記した「債務の記録」から話はスタートします。まだ貨幣がない時代、人から受けた恩に対して、なんらかのかたちで返すことを忘れないように粘土板に記したことがお金のはじまりとされています。それがやがて、人になにかをしてもらう対価として、貨幣ができていったのです。
要するに、お金というのはもともと「ツール」に過ぎないのです。それなのに、まるで貴金属のように貨幣そのものが魔性の魅力を持ち、貨幣の所有量が人を支配できるステータスになりました。すると、お金に振り回されない精神性も必要になっていきます。そうした、人間のドロドロとした感情がまとわりついてしまったお金ですが、元来は人間の社会生活の営みをスムーズにするためのツールに過ぎません。だから、一度思考をフラットな状態にしてお金の扱い方を学んでいくことが、金融教育の大事なポイントです。
ですからわたし自身、「お金とは選択肢を増やすためのツール」だと常日頃から思っています。資産を増やせば社会的な信用が高まることは事実ですが、お金を必要以上に持つ意味はあまりないし、わたし自身もお金の所有によって人間的なステージが上がったとは考えていません。
わたしたちは本来、「お金が増えること自体」が嬉しいのではなく、「お金が増えて人生の選択肢が増えること」が嬉しいはずなのです。自分が将来的に目指していく場所がある場合、資金不足でなければ障害が起こることは少なく、目的地へと達することができる可能性は高まります。資金不足という障害がないことで、自由も感じられるでしょう。特に、子どもを育てている親なら、子どもの習いごとや進学先、体験などの選択肢にもお金の有無は直結しますよね? そこでわたしの金融教育の授業では、子どもたちに対し「お金について偏見なく考え、学ぶ自由」と「お金にとらわれない自由」を伝えています。
大人たちにこそ、金融教育は必要とされる
——社会人講座としての金融教育も需要が多いそうですね。大人が金融リテラシーを高める必要性についてはどうお考えですか?
森永康平:先にも述べたように、金融リテラシーとは投資の知識だけでなく、お金をフラットな状態で考え、合理的な「お金の扱い方」を知ることです。その知識は、これからの資産形成において必要なものであると考えます。
特に、投資においてのお金とは、あくまでも「幸せになるための手段」であり、それ自体を「目的」としないことが大切ではないでしょうか。必要以上のお金に目が眩めば、人間関係をないがしろにしたり、家族との時間を犠牲にしたりと、結果的に自分の人生を不幸にしてしまうかもしれません。よって、まずは「自分と家族の幸福のためには、どれだけのお金が必要か」をしっかりと算出し、その資産形成の道筋を考えるために、金融や投資を学んでいくのがいいように思います。
また、「お金がどこから来てどこへ行くのか」を知る意味では、金融知識は経済知識であると捉えることができます。経済とは、わたしたちが仕事や生活を営むうえでの、いわば外部環境のことです。
自分を取り巻く環境を知って味方にしなければ、仕事も生活も「自分の力だけ(自力)」で生きていくことになります。逆に、経済をちゃんと理解していれば、その変化を感じ取って仕事に活かすことで有利に業績を高めることができるでしょう。特に、一プレーヤーではなくマネジメント側の人間にもなれば、部下の生産性を高める舵取りや戦略が必要ですから、経済を知って判断を下すことが求められるはずです。
また、プレーヤーとしてのスキルやマインドだって、経済を知らないことで時代遅れになりかねません。「これからの時代に必要とされるものはなにか?」を見通すうえで、経済知識は必要不可欠なものなのです。ですから、金融リテラシーを考える際には、投資知識だけでなく経済知識も含めて学んでほしいですね。
——最後の質問になりますが、「投資家」という視点に立った場合、金融知識の重要性についてどのように考えますか?
森永康平:いうまでもなく、企業の業績も株価も「お金の流れ」によって決まるものです。しかし、決算書に記載されている数値を分析するだけでは、表面的なお金の流れしか理解できません。
「なぜ、この企業の商品はヒットしたのだろうか?」「なぜ、わざわざ利益を減らしてまで、この企業はこの分野に投資をしているのか?」「なぜ、この企業は能力の高い人材が集まるのか?」といった奥行きのある分析をするには、先の経済知識を含む金融知識を学ぶことが大切だと思います。
人々がお金を手段として捉え幸福を目指すように、企業もまたお金を手段として捉え幸福を目指したり、社会に貢献しようとしたりします。それらのことは、決算書の数字を読み解くだけでは見えてきません。企業がお金を手段として「なにをしようとしているのか?」を見抜くために、幅広い金融知識が欠かせないということです。逆にそれがないと、投資家は企業の表面的な分析だけに終始してしまい、一過性のブームや数字に惑わされるばかりになるでしょう。
著名投資家であるウォーレン・バフェットは、投資する業界の知識や分析手法に関連して、「自分の能力の範囲で投資しなさい」と語っています。その意味でも金融知識というのは、投資家にとってもっとも重要な能力といえるでしょう。企業のキャッシュフローや経営理念、人材のあり方に至るまで、そこにあるファクトを読み解くことにつながっていくのだと思います。
森永康平(もりなが こうへい)
1985年生まれ、埼玉県出身。金融教育ベンチャーの株式会社マネネCEO、経済アナリスト。明治大学経済学部卒業。証券会社や運用会社にてアナリスト、ストラテジストとして、日本の中小型株式や新興国経済のリサーチ業務に従事。さらにインドネシア、台湾などアジア各国にて法人や新規事業の立ち上げを経験し、各社のCEOおよび取締役を歴任。現在は国内外のベンチャー企業の経営にも参画する。著書に『いちばんカンタン つみたて投資の教科書』(あさ出版)や父・森永卓郎との共著『親子ゼニ問答』(KADOKAWA)など多数。また、YouTubeで「森永康平のリアル経済学」「森永康平のビズアップチャンネル」を配信中。