企業が「本当は言いたくない」投資家とのギャップとは?

はじめに
IR情報で発信されているコンテンツは、企業と投資家の間に架けられたコミュニケーションの橋です。しかし、その橋の上ではしばしば"すれ違い"が発生します。企業側が丁寧に発信しているつもりでも、その意図や本質が投資家に伝わらず、結果として株価に結びつかないことがあります。一方で、投資家は企業の姿勢や戦略の"本気度"が見えないと疑念を持つこともあります。
私は上場企業のIR責任者を経験する中で、こうした「企業と投資家のギャップ」を肌で感じてきました。企業が発信する情報が効率的に株式市場に織り込まれていれば、株価は企業価値に正確に反映されるはずです。しかし現実には、そのギャップが埋まらないことが多くあります。その背景には、企業が「本当は言いたくない」と考えている情報や姿勢の本音が隠れていることがあります。
企業と投資家がすれ違う理由とは
企業と投資家の間にギャップが生まれる大きな理由のひとつは、「注目する時間軸とテーマが異なる」ことです。
多くの投資家、とくに短期成果を求める層は、株価の動きや目先の成長性といった即効性のある業績数値に注目します。なかでもグロース市場に上場する企業に対しては、大型株以上の高成長(たとえば売上・利益が年率20〜30%増)を期待する傾向があります。
一方、企業の経営陣は、そうした成長性に加えて、中長期的な持続可能性や事業基盤の強化にも重点を置きます。たとえば将来に向けた"推し"事業のポテンシャルをアピールしたくても、その事業が現状の業績に占める割合が小さいと、実績重視の投資家には響きづらく、企業の「伝えたいこと」と投資家の「知りたいこと」にズレが生じます。
こうした構造的なギャップは、2025年9月2日に開催された東証の有識者会議の中で、「グロース市場の今後の対応」に関する議論でも明確に指摘されました。たとえば、グロース企業の経営者は「実績は出しているのに株価が報われない」と感じる一方、投資家側は「過去ではなく将来の持続的成長のストーリーを聞きたい」と感じています。この認識のズレが、IRのすれ違いを生み出しているのです。
IR現場で感じる誤解と、ギャップを埋めた好例
IR担当者はよく「情報開示しているのに、それが適切に投資家に伝わらない」という悩みを抱えます。とくに業績予想に対する四半期毎の進捗やネガティブな情報に過敏に反応され、前向きな説明が無視されがちです。時には、投資家の質問が企業の開示とかみ合っていないと感じることもあります。
企業の価値が過小評価されたとき、IR部門がアナリストや機関投資家に自らヒアリングし、「なぜ評価されないのか」を探ることがあります。このギャップに真摯に向き合い、経営戦略やIR資料を迅速に修正して投資家の信頼を回復した好事例が、タカラスタンダードです。
日経新聞の報道によると、同社は2024年5月に発表した中期経営計画が市場に評価されず、株価が約1カ月で15%下落。PBRも0.5〜0.6倍に低迷しました。そこで、IR担当執行役員が投資家の声を丁寧にヒアリングしました。市場関係者からは、「数値目標が市場期待に届かない」「施策の収益貢献度が不透明」などといった指摘が寄せられました。その結果、1年後に中期経営計画を修正。最終年度にあたる2027年3月期ROE目標を7%から8%へ引き上げ、配当性向も40%から50%に改善。約240億円の自社株買いも明記し、資料構成も一部刷新。IR姿勢の転換が市場に評価され、修正発表後の株価は29年ぶりの高値圏に回復しました。
これは、「市場の声を聞き、戦略を修正すれば、ギャップは埋まる」ことを示す象徴的な事例です。
参考:
タカラスタンダード「ROE8%の達成に向けた新株主還元方針と利益成長の取り組み」に関するお知らせ(2025年5月8日)
開示方針ににじむ「企業の本音」
タカラスタンダードの事例は理想的な改善例ですが、多くの企業、特にグロース市場の中小型株の経営者のマインドには、未だに投資家との間に埋めがたい意識のギャップがあります。
上述の東証の資料でも、「投資家は『増資=株式の希薄化』と単純に捉えるので、資金調達を行うと株価が下がる」という経営側の懸念が紹介されました。これに対し投資家は、「調達資金で成長が実現されるか(アクリーティブか)」を重視しており、成長への道筋がクリアならば株価は下がらないと考えています。
しかし企業側が成長の道筋を描ききれていない場合、調達は「単なる希薄化」としてネガティブに受け止められてしまいます。
また、「赤字では評価されない」として成長投資を控える企業もありますが、投資家は目先の赤字でも、それが将来の利益創出に向けた種まきと判断できれば支持します。経営者が赤字や薄利の要因をビジョンとともに率直に語ることが、信頼獲得につながるのです。
さらに、法令順守のもとで企業が情報の伝え方を「都合よく」コントロールしてしまうと、ポジティブ情報だけを強調する資料になりがちです。これは裏を返せば、「ネガティブ情報はなるべく語りたくない」という本音の表れとも言えます。
特に、以前は丁寧に説明されていた分野が、資料から徐々に消えていくパターンは要注意です。進捗が芳しくない、説明が困難、といった兆候が隠れている可能性があります。
また、「推進」「注力」「課題」といった用語が多用される資料も注意が必要です。投資家は「なぜ重点課題が10個もあるのか」「どれを優先するのか」といった具体性を求めています。曖昧な表現の多用は、対話姿勢の欠如とも受け取られかねません。
東証の資料でも、経営者の「下方修正を嫌う投資家に配慮し、予想はなるべく出さない」マインドに対し、「KPIと進捗の継続開示こそが信頼構築につながる」と明言されています。目標を外すことを恐れず、変化があれば説明するというPDCAサイクルの開示が、投資家との関係を深める鍵となります。
ギャップを知り、「企業を見る目」を鍛える
企業と投資家の間に存在する情報ギャップを理解することは、投資家の判断力を高める上で不可欠です。私たち個人投資家は、IR資料の内容にとどまらず、「なぜその情報が語られたのか」「なぜ語られなかったのか」といった視点を持つべきです。特に、減配や投資方針の転換など、企業にとって後退を意図する情報が出たときこそ、その背景や説明姿勢から企業の"真価"が問われます。
たとえば、投資総額を減らした場合、それが単なるコスト削減なのか、それでもなお将来に向けた成長投資が維持されているのか。経営トップやIR担当者の発言が一貫しているのか。こうした点に注目することが、企業の誠実さを見極める「目利き力」を育てます。
タカラスタンダードのように、市場の声に耳を傾け、戦略を見直し、対話を重ねて信頼を取り戻す企業こそ、逆境に強く、長期投資にふさわしい存在です。
企業が「本当は言いたくない」情報の存在を理解すること。それは、投資家としての判断軸を育てる第一歩なのです。
iwawo(イワヲ)
IRの現場も、投資家の本音も、すべて“肌感”で知るIRコンサルタント。証券会社でアナリスト・IPO業務を経て、上場企業2社でIR責任者(うち1社は取締役)を務めるなど、株式市場の最前線を渡り歩いてきた。証券・企業・投資家――立場を越えてIRの実態に向き合ってきた経験をもとに、企業が直面するIR/SR領域のリアルな課題への対応を支援。
