TPP交渉の理念と現実 ──NZの抵抗とコメ特別輸入枠が示唆するもの
「例外なき関税化」を基本理念とするTPP。しかし、その本質は変容し、単なる大国間の分捕り合戦の場、エゴを押し通す場でしかなくなってきている。
取材・文/楠本 清志(経済ジャーナリスト)

環太平洋連携協定(TPP)交渉は今年10月初めに米ジョージア州アトランタで行われた閣僚会合で大筋合意に達した。7月のハワイ閣僚会合の決裂で長期漂流の気配も強まっていたが、たびたびの日程延長の末、貿易・投資ルール、各国間での農産物・鉱工業品の関税撤廃・削減などの市場開放策で妥結した。しかし、ハワイ閣僚会議でのニュージーランド(以後、NZ)の抵抗など、さまざまなドタバタ劇を見るとTPP交渉が真の意味での自由貿易交渉だったのかという疑問も残る。さらに、今後の各国での批准作業、特に米国の政府や議会の対応次第では、TPP発効は予断を許さないとの見方もある。
すでに「にぎって」いた?
国内で関心の高い農産物の関税化の大筋合意の主な内容は以下の通りだ。
①コメ=1キロ当たり341円の関税は維持し、米国向けに最大7万トン、豪州向けに同8400トンの無関税輸入枠を新設。ミニマムアクセス(MA=年間77万トン) の一般輸入のうち6万トンを米国産が多い「中粒種」に限定することで、米国からの輸入をさらに増やす。
②麦=1キロ当たり55円の関税を維持し、米国、豪州、カナダ向けに最大計25万3000トンの無関税輸入枠を新設。国が輸入した麦を製粉会社に売り渡す際、価格に上乗せする輸入差益を発効後9年目までに45%削減する。
③肉=現行38.5%の関税を発効時には27.5%、その後も順次引き下げ、16年目以降は9%とする。セーフガード(緊急輸入制限)は適用税率を段階的に引き下げ、16年目以降は4年間発動がなければ廃止する。
④肉=1キロ当たり482円の従量税を発効時に125円に引き下げ、10年目以降は50円とする。高級品に適用する4.3%の従価税はまず2.2%に下げ、10年目以降は撤廃。セーフガードは12年目に廃止する。
⑤製品=国家貿易制度を維持し、バターなどで低関税輸入枠を新設、段階的に拡大する。
かつてのウルグアイ・ラウンド(多角的貿易交渉)の日米間交渉ではコメが最大の焦点だった。今回のTPP交渉では当初、農産物分野で最大の争点とみられていたのは豚肉・牛肉関税だ。最終段階でコメも争点となったが、実はいずれの品目も日米間では早い段階で落としどころが決まっていたのではと言われている。
TPP反対の急先鋒である東京大学大学院の鈴木宜弘教授は8月の日本記者クラブでの講演で、この時点までの報道内容について、「既に、昨年4月のオバマ大統領の訪日時に一部メディアが報じた内容とほぼ同じで、安倍晋三首相とオバマ大統領は昨年4月に、実は寿司屋(筆者注:すきやばし次郎)で『にぎって』いた」と分析。その後、一部で「ちゃぶ台返し」などもあったが、この時の落としどころは生きていて、その後の駆け引きは終盤の出すべきタイミングを計っていただけの「演技」だったとの認識を示した。
NZの抵抗が示す交渉の本質
主要国が大筋合意をほぼ確信していたハワイ閣僚会合が決裂した後、甘利明TPP担当相は、NZを念頭に、「頭を冷やしてまっとうな要求にしてもらいたい」と言い放ったと伝えられている。決裂の主因は自動車製品の市場開放、バイオ医薬品のデータ保護期間での対立、そして乳製品分野でのNZの強硬姿勢だったとされる。
もともと、NZなどP4(TPPの基となるP4協定に加盟したブルネイ、シンガポール、NZ、チリの4カ国)は一貫して「例外なき自由化」「全面的な関税撤廃」を理念に掲げてきた。輸出全体の2~3割を乳製品が占めるNZが、後からTPPに参加してきた米国、カナダ、日本に大幅な市場開放を要求しても当然の話といえる。少なくとも日本から「頭を冷やして……」と言われる筋合いはないだろう。そこでは、「例外なき関税化」を基本理念とするTPPの自由貿易交渉としての本質は既に変容し、TPPは単なる大国間の分捕り合戦の場、エゴを押し通す場でしかなくなった。
NZが最終段階で強硬姿勢を示した背景には2年ほど前までは絶好調だった同国の乳製品輸出が、昨年から急減速したことがあると指摘されている。このため、同国経済の成長をけん引してきた乳業大手フォンテラの業績が悪化、同国はTPPを通じた市場開放を強硬に求めざるを得なかったとみられている。
自由貿易交渉とは将来的には関税・非関税すべての貿易障壁を撤廃し、公平性を追求し、完全自由化を目指すものだ。しかし、特に先進国においては自由貿易、そしてグローバル化はほぼ十分に進展し、むしろその弊害が目立ち始めている段階との見方もある。
コメの特別輸入枠とは何か
ウルグアイ・ラウンドでコメの関税化を拒否する代わりに、1995年度から始まったのが無税のミニマムアクセス(MA)米輸入だ。現在は年間約77万トンで、2014年度の内訳は米国産が36万トンを占め、用途は加工用や飼料用が中心だ。そしてその売買の逆ザヤによる損失は1995年度以降、累計で2,700億円超に達している。この不合理な仕組みに気付いた日本は99年度から自主的に関税化に踏み切った。その関税率は1㎏につき341円で、当時のコメの国際価格から税率を換算すると778%だったが、その後の国際価格の上昇で、現在の税率は大幅に縮小している。
需要のないコメを無自覚に輸入するMA輸入の欠陥に気づき、関税化を決断したにもかかわらず、今回、米国と豪州に対して無税の特別輸入枠を認め、MA輸入枠を実質上積みするという。失敗から何も学んでいない。その背景には「(コメを含む)重要5品目などの聖域確保を最優先」するという昨年4月の「国会決議」を守れという農業団体に対して、政府・与党として言い訳を用意する必要があったからか。発展性の乏しい決着で、真の国益が失われかねない。
コメの内外価格差の縮小により、コメ輸出の可能性は高まっている。政府も農業の成長産業化の柱として農産物の輸出を強力に推進しつつある。もし、コメの輸出に本気で取り組もうとしている国が、一方で高い関税率を維持していることが対外的に説明できるのだろうか。まずは関税率を段階的引き下げて国際競争力を強化していくべきではないのか。
MA輸入は入札方式と言いながらも、米国産のシェアは毎年約47%と一定で、結局は国家貿易でしかない。安全保障上の理由からか、巨額の財政負担をして米国に貢いでいる。TPPも、アジア太平洋での経済覇権を維持したい米国に協力するためという、しょせん地政学的な動機が大半ではないかと言われるゆえんだ。