第22回 長期ビジョン

筆者が中学生だった頃の夢は、小説家になることだった。ゆったりと物語を紡ぐ物静かなモノカキになることに強く憧れ、当時近所に住んでいたプロの文筆家の先生に自分が書いた小説を読んでもらい、ご指南いただくなど、わりと真面目に夢の実現に向けて取り組んでいたものだ。今思えば、稚拙な筆者の依頼を受けてくださった文筆家の先生(今も現役で活躍なさっている上にワイナリーまで営まれている)の寛大さがあったからこそ、お恥ずかしながらも筆者がここにいると言える。読者の皆様も、小さい頃は〇〇になりたかった、など夢をお持ちであった方も多いであろうし、今でも夢を追い続けている方もいらっしゃるかもしれない。
企業にとっても「〇〇を目指そう!」というビジョンを持つことは重要だ。ビジョンとは、自分たちが将来どうありたいのか、社会においてどんな存在でありたいのか、どんな価値を提供できる企業でありたいのか、などである。環境変化が激しいVUCA時代において、短期的な対応を場当たり的に繰り返すだけでは持続的な成長を遂げることは難しい。だからこそ、ブレない軸としてのビジョンが必要になるのである。そして、これらの長期的な視点に立ったものが「長期ビジョン」だ。この長期ビジョンを社内外に発信し、自社が到達したい未来のゴール地点をステークホルダーと共有できれば、変化の大きな時代においても同じ方向を見ながら進むことが可能になる。経済産業省においても、長期視点を持つことの重要性に言及しており、2022年8月に公表された「価値協創ガイダンス2.0」において「長期戦略」の大項目が新設され、その中のひとつに「長期ビジョン」が設けられている。
多くの企業が中期経営計画を策定しているが、多くが3年、長くても5年程度ではないだろうか。これはあくまでも「中期」であって、「長期」の計画ではない。長期の定義はひとつではないが、企業によっては10年後であったり、2025年や2030年であったり、区切りの良い時点で区切っているのが現状であろう。昨今では長期ビジョンを掲げる企業も増加傾向にあるが、長期ビジョンを掲げていれば良いのか、というと決してそうではない。夢物語はあくまでも夢物語であり、額に入っただけの長期ビジョンは使い物にならないと言っていい。大切なのは、描いた長期ビジョンの実現に向けて、現時点で何が不足しているのか?そのためにはどんな施策を実行すべきなのか?など、長期ビジョンの実現に向け、達成可能と考えられるプロセスやKPIが社内外に明示されているか、ということだ。これまで、日本企業の多くは中期経営計画をフォアキャスト(現時点から積み上げて計画を作る形)で策定してきた。しかし、激しい環境変化に対応できるしなやかさをもって企業が成長していくためには、長期ビジョンからバックキャスト(目指す姿から逆算して計画を作る手法)して計画を策定していく必要がある。加えて、長期ビジョンを従業員といかに共有していくのかも重要なポイントになる。従業員一人ひとりが長期ビジョンに共感し、腹落ちして行動できていれば、組織全体のモチベーションが向上するだろう。結果、長期ビジョン達成可否に関わるのはもちろん、業績にも大きな影響を与えることになる。
さて、読者の皆様の投資先は長期ビジョンを掲げているだろうか?大きなビジョンを掲げている割に、将来事業ポートフォリオに何の変化も見られないような経営計画になっていないだろうか?こうした情報が詳細に語られている媒体は統合報告書、もしくは有価証券報告書の場合もあるかもしれない。皆様の投資先がどんな未来を描き、どんな企業であろうとしているのか、投資先が開示している媒体からとっておきの物語を見つけ出していただければと思う。
※この記事は2025年4月25日発行のジャパニーズ インベスター125号に掲載されたものです。

㈱宝印刷D&IR研究所 取締役
ESG/統合報告研究室 室長
片桐 さつき
宝印刷㈱において制度開示書類に関する知見を習得後、企業のIR・CSR支援業務を担う。その後ESG/統合報告研究室を立ち上げ、現在は講演及び執筆の他、統合思考を軸としたコーポレートコミュニケーション全般にわたるコンサルティング等を行っている。