人的資本
文/片桐 さつき
筆者が営業部門で課長を務めていた10年前位の話になるだろうか。「女性の課長さんかぁ、〇〇君も苦労するねぇ」と苦笑いする男性の顧客に、筆者も負けじとフルパワーの笑顔で「苦労させてます、あはは」と返していた。女性の管理職が少なかった時代ゆえにその発言は珍しいものではなかった記憶があるし、筆者の性格上、さほどこれを嫌なものと認識していなかったが、今の時代に同じ発言をすれば、人によってはセクハラと糾弾されかねない。
厚生労働省の調査によると、令和2年の女性の労働力人口は3,044万人と前年に比べ14万人減少、男性は3,823万人と5万人減少したそうだ。コロナ禍もあいまって減少傾向にあるのだとは思うが、こうした背景の中で岸田政権は「新しい資本主義の実現」を掲げ、「骨太の方針」において重点投資分野のひとつとして人的資本への投資を掲げた。そして、企業は今夏にも人材育成や多様性など、人的資本投資に関連する19項目の情報開示が求められることになる。人的資本は一般的に従業員や、従業員が保持している能力などのことを指すが、一昔前までは従業員=コストという考え方が多く、ある意味、利益を出すための調整弁という認識が強かったであろう。しかし、労働力人口が減っていく中で、従業員はコストではなく「投資を行い拡大していくべき資本」としての考え方に変わってきている。原材料やコストとして捉えられていたリソースから、資本であるキャピタルに変化しているということだ。従業員に関して企業の経営者に求められているのは長期雇用の保証ではなく、従業員一人ひとりに向き合うことで個人の価値を見出し、その能力(資本)を伸ばしていくことだろう。そうすることで無形資産である人的資本そのものの価値が高まるはずである。
では、企業は今までこうした人的資本への投資を疎かにしてきたのかというと、決してそんなことはない。早々に人的資本への投資についてその重要性に気が付き、率先して様々な策を打ってきた企業も存在する。こうした企業は人材難と言われる昨今でも優秀な人材を確保できているし、財務リターンを生むイノベーションが継続的に創出されている。一方で、何かしらの理由があって人的資本投資の優先順位を下げ続けた結果、付加価値の創出がおいそれとはいかなくなっている企業が多くあることも事実だ。皆様の投資先がどちらなのかを確認するためには、投資先のウェブサイトやCSR報告書、統合報告書などで「人材」や「従業員とともに」などとして分類された情報を見てみると良いだろう。業種によって開示されている内容は異なると思うが、特に採用活動や人材育成、従業員との対話、従業員の健康管理(例えば健康経営や労働安全衛生)などについてはボリュームの差こそあれ、何かしら掲載されているはずだ。こうした内容が投資先の成長戦略とどう繋がっているのか、読み解けるかをチェックしていただけると良いと思う。また、投資先の採用サイトを併せてご覧いただくこともお勧めしたい。採用サイトで良いことばかり書いてある一方で、その他の媒体で人材育成などに関する記載がない場合は疑問を感じるからだ。
人的資本の開示をはじめとして、企業は非財務情報の開示要請に積極的に応えなければいけない時代になっており、企業価値の評価にしても同様に非財務情報の評価が大きくなっている。資本主義の父である渋沢栄一の『論語と算盤』は、あくまでも「と」で繋がっており、論語「か」算盤では企業は成長できない。皆様も投資先の非財務情報と成長戦略を結び付けながら投資先をチェックしていただき、日本が目指している新しい資本主義の実現にご尽力いただければと思う。
※この記事は2022年7月25日発行のジャパニーズ インベスター114号に掲載されたものです。
片桐 さつき
㈱ディスクロージャー&IR総合研究所 取締役
ESG/統合報告研究室 室長
宝印刷㈱において制度開示書類に関する知見を習得後、企業のIR・CSR支援業務を担う。その後ESG/統合報告研究室を立ち上げ、現在は講演及び執筆の他、統合思考を軸としたコーポレートコミュニケーション全般にわたるコンサルティング等を行っている。